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年末に演劇を観に行った。最近は専らチケットを余らせた演劇(というより役者)狂いの友人から譲ってもらう。同じ日にたまたま、卒業した学校のある街で別の友人と会う約束があった。年末、無事に仕事を納められた翌朝に電車に乗った。
多分ファンクラブでなければ取れないような、前から5列目舞台左側のかなり良い席。10列目くらいまでは平場なので、前の席の人の頭で舞台中央が見えないくらい。それで主に真ん中で話す主役の顔が見えないことも多かったが、その分助演者の顔を見るなどして楽しむ。
話は脚本家のオリジナル。1995年の阪神淡路大震災で木造アパートの下敷きになった自身の経験を書いたのだという。ネタバレになるので詳しくは書かないが、震災当日とその前夜、十数時間後に「彼女」によって助け出され、二か月後だったか、建物の下敷きになっている間に彼が見た幻影の「猫」を探しに、友人と被災の現場へ行くという話だ。
時間が交錯し、記憶もまた混乱する――ように見えるが、最後、「彼女」が舞台の奥に現れるところで記憶も時間も見事に、矛盾なく収束する。そういうカタルシスのある演劇だった。友人は探検家の話だけが、劇中の脚本家による戯曲なのかな、と話していた。そう、探検家は猫と一緒に「要石」を抑えに行く(そういえば諏訪にも要石がある)。
若い役者たち六人で十役だろうか(二役が四人いる)。震災という大惨事に遭っても生きる力を失わない、近しい人の死に遭っても自分たちは災害に殺されずに生きていくんだという、そういう励ましを見せてくれる素晴らしい舞台であった。
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観劇後、懐かしくなって劇場から徒歩10分ほどのところにあるキャンパスを歩いてみる。その最奥にある女子寮に28年前、神戸から来た同級生が住んでいた。彼女は95年に震災に遭っている(と本人が話していたのを聞いた気がする)。彼女は四年で学部を卒業できなかった。その後卒業できたのかどうかは判らない。
私は駅近くの劇場とは反対側にある隣の町に下宿して自転車で通学していたから、バイトの帰りにいつもその女子寮の塀の外を歩いていた(自転車を校門付近に停めていた)。その同じ道を歩いてみたが女子寮は四半世紀を経て取り壊され、新しい建物が建設中であった。95年から30年とはそういう時間である。
学生の頃、そして仕事に就いてからも暫く私は、90年〜00年代の演劇を観た。ナイロン100℃、新感線、燐光群、NODA・MAP、花楽郷、アフター8等々。カムカムミニキーナやラジカル・ガジベリビンバ・システムも観てみたかった。
演劇をやっても金にはならない。役者、劇団員なんて子どもが就くのに親の最も反対する職業だろう。でもそこには夢があり愛がある。人は美しいものを見たくて劇を観に行く。演劇を志す人の中から脚本家も生まれる。人の作り出す表現の最たるものが演劇、芝居だろうと思う。作曲の先にオーケストラがあるように、小説や叙事詩の先に舞台がある。そんな芸術の力をもらい、思い出しながら懐かしい街を歩いた。
